~憂いの中の【真実の愛】を表現する者~
皆様 ゴジにございます。
先月、
どことも繋がりのない
国も言葉も違う 全く知らない人と
お知り合いになりました。
【全ては必然】だから。
出会いにも、意味はあります。
『私が、私とゆう存在を
そのまま受け入れる為に
この方に出会った』
と、出会いの意味を感じました。
その際に
>ゴジさんはゴジさんそのまま
ありのままを肯定してくれる、とても素敵な人とのご縁があり、
『褒められながら受け入れて行く』
なんて素敵な現実の創造がして頂けてて、
私もすごくうれしかったです。
ある方に、こう言って頂けたことで
ようやく、
≪今まで≫そして≪今≫の自分自身を
許せたように感じます。
私は、
日本の美意識が
ずっと不思議だと思っていました。
私の評価が、
なぜ 『周りの人の評価が基準』 なのだろうと
だから、
自分を自分が否定し続けている
なぜ 自分の価値を 自分が決められないのか。。。
子供のころの私には、この日本は窮屈だった。
ずっと、海外に出たいと思っていた。
≪こころの自由さ≫を求めていた。
「なぜ 自分の想いをストレートに伝えてはいけないのか?」
「なぜ 自分のしたいことをさせてもらえないのか」
だからずっと外に出たい!と、思っていたのに。。。。
いつの間にか、私も洗脳されていましたねw
今、自分軸に戻る為の
“最終仕上げ”
を、していたようです。
肯定的な言葉を素直に受け入れ
≪ありのままの自分を許していく≫
否定され続けてきた私に
暖かく優しい言葉が満たされていく
かつて忘れていた≪私≫が戻ってくる
全く真逆の体験をしてきたからこそ
感じる事の出来る『自由』
そして
満たされていく中で。。。
ある【違和感】を感じた
それは、
とても小さな、ちいさな【ひっかかり】
あえて気にしなければ
見て見ぬふりができる
ごく小さな【違和感】
もちろん いままでだって
【違和感】が無かった訳ではない
私は、あえて
見て見ぬふりを選択していた
気づいているのに。。。
変化を恐れて、気が付かないふりをする
とゆう選択をしていた
これは、【自分を偽ること】
に他ならない
≪自らを満たし 今までの自分さえも許せたから≫
自らを偽ることは、もう必要としない
その【違和感】を追求することにより
目の前にかかっていた“モヤ”が
一気に晴れた
今までも
同じように存在していた【違和感】は
私との【ズレ】であり
ホッておいてはいけないモノだった
一度
【偽りで認めてしまった違和感】とゆうズレは
次第に大きくなり
不信・不安へと
大きな闇となってゆく
私には【違和感】とゆうカタチで表現される
多くの人が
なんとなく感じる【ズレ】を
≪見て見ぬふり≫を選ぶのか
それとも
≪自らを偽らず≫追求するのか
どちらを選んでいるのでしょうか?
人は強くはない
だからこそ
変化への恐怖に自らを偽る選択をすることもある
しかし
その先にあるものは
もっと深く暗い闇
そして、
そこを埋められるのも
また【貴方の選択】でしかない
『全ての出会いには意味がある』
~自分を愛することは
すべてを愛すること~
Guajira